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第11便てらネット支援活動 ~岩手県釜石市・ガレキ撤去

復興
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NPO法人全国てらこやネットワーク 震災復興プロジェクト
第11回 岩手県釜石市への社会人ボランティア派遣
2011年4月29日

<内 容>ガレキ撤去①

<受入れ>北上JC・釜石ボランティアセンター

<参加者>4名
湯澤大地・久坂誠治・白仁浩文・土佐洋子

3月のある日、会食の席で友人である湯澤氏から全国てらネット被災地支援の話を聞いた。実際に現場に何度も出向き支援をしてきた彼の話には、重みがあり小生の心を動かすものがあった。被災地の支援を何かしたい。1人で被災地に行く思い切りができない。出来れば信頼できる団体で、仲間と一緒に行きたい。小生のような会社務めをしていると、団体で行動することを好む。湯澤氏そのような些細な小生の思いをすべてクリアにしてくれた。
4月28日仕事を終えて、一緒に行く仲間2名とともに鎌倉を出発。4月29日早朝岩手県着。同日作業を終了して同日深夜帰宅。 以下時系列的に記載する。

*事前に準備したもの
長靴。(安全靴の長靴)
ゴーグル
防水ヤッケ
作業マスク
ビニール手袋

* 4月28日(木曜日)
19時 鎌倉出発。
事務局があらかじめ鎌倉市に申請していただいていた、「災害派遣等従事車両証明書」を高速料金所に見せる。
高速料金が免除になる。

 

* 4月29日(金曜日)
4時30分 予定の2時間前に集合場所である北上市に到着駐車場で仮眠。北上市は今桜が満開。

6時   すでに現地入りしている友湯澤氏落ち合い現場である釜石市に向かう。
9時   釜石のボランティアセンター到着。ボランティアセンターで登録作業、注意事項をボランティアスタッフからレクチャー
を受ける。

10時   ボランティアセンターで言われたお宅へ。そこで津波で庭に入った泥を撤去。作業内容はすでに現地に入っている、湯沢氏ら瓦礫撤去であることは聞いていいた。 なぜ前日まで作業内容がはっきりしないのか疑問を持っていたが、現地のボランティアセンターを訪問して状況が理解できた。
当日どれだけの作業があり、どれだけのボランティアがいるのか
ボランティアセンターで把握した後各ボランティアに割り振るようだ。
ボランティアセンターには横浜市役所から派遣されていたスタッフが駐在し釜石市のボランティアスタッフを手伝っていた。

 

12時  依頼されていた作業終了。 家の方に挨拶をして、ボランティアセンターに戻る。
あらかじめ北上市内のコンビにて購入していたおにぎりで昼食。
ボランティアセンター駐車場の横には、陸上自衛隊の関係車両が止まっていた。
また、大阪市営バスが止まっていた。このバスは大阪市から派遣されている市職員の事務局にしているのだろう。

12時30分 次の作業は、釜石にトラックで届いた救難物資の仕分け。
救難物資の一時保管場所として自社の倉庫を提供していただいている
釜石の蔵元、「浜千鳥」さんに向かいhttp://www.hamachidori.net4トン トラックに満載されている
救難物資を積み下ろし、仕分け作業を行った。救難物資は、飲料水、インスタントココア、などの食料品、
衣料品、子供のオムツ、老人用オムツ、など。

13時30分 ボランティアセンターに戻り、作業の終了を報告。
ボランティアセンターから支給されていた、名札を返却。これで作業は終了となる。
予定よりも早く3時間弱で作業が終了したので、釜石市内、大槌町を視察し、帰途。

0時30分 鎌倉着

<釜石市街、大槌町の様子>

釜石警察 津波で建物だけが残った。

釜石商店街

釜石トヨタレンタカー

大槌町、防潮堤1

大槌町 市街

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自衛隊による住宅の解体。電信柱が陸方向に倒れている。

大槌町携帯電話臨時基地局

大槌町 町役場周辺

新日鉄の敷地内に瓦礫を一時集められている。信号は停電のため停止。警察官が交通整理。

市内に津波で運ばれた漁船

衛隊の重機を使っての瓦礫撤去作業

倒れているのはJRの橋脚

<思うに>
なぜ被災地でボランティア活動をしたいと思うのか?自分の中にある野次馬根性じゃないのか?「ボランティアをしに行ってきた。」と人に言いたいだけじゃないのか? 自己満足??そんなことを行きの東北道で運転しながら考えていた。
釜石について、ボランティアセンターの方々、今回仲介し自らも被災した釜石青年会議所の理事長、被災した御宅の方と直接お話をさせていただきそこにこれから釜石を再生し力強く生きていくとの思いを感じ、逆に力をいただき、そのような思いは吹っ飛んだ。そこに再生しようとする人が、町があるそこに微力ながらお手伝いする。道で転んだ子供に手を貸すのと同じように。
今、募金、被災地への救援物資の提供、被災地の物産の購入などいろいろな形での被災地支援の形はある。もうひとつ我々のできることは、我々が東京、横浜、鎌倉で3月11日に何が起こり、どうしたのか、また、3月11日以降に東北地方で起きていることをしっかりと理解して覚え今の子供たちに伝えることも我々の務めであり又被災地支援のひとつの形ではないかと考える。 事務局ではこのゴールデンウィーク後も継続的に支援を考えていると聞き及んでいる。
1人でも多くのサラリーマンが今後被災地でのボランティア活動に参加し自らの目で確認し、現地を体で感じてほしいと思う次第である。

私事で誠に恐縮ではあるが、偶然にも釜石市は2年前仕事で2日間滞在した町であった。釜石の北に東京大学地震研究所が海底ケーブル式地震計、津波計を設置しているその補修工事の際に、責任者として滞在した。 現場の作業者と夜食事をしておいしい魚を出してくれた店は津波で見る影もなく、2次会でいった、居酒屋は建物が古かったからか、流されていた。愛想よく対応してくれた女将と大将は、どうしているのだろう。そんなことを思うと涙がでてきた。

今回の津波もこの津波計でしっかりと計測されている。最後にこの津波を計測したデーターを東京大学地震研究所に伝送したあとその津波で陸上局舎(携帯電話の基地局みたいなもの)が流された。
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/#kamaishimeter
http://eoc.eri.u-tokyo.ac.jp/eisei_system/sanrikupanf.html

最後に事務局の方々に、いろいろとお世話になった。この場をお借りして謝辞を申し上げる。

文責 白仁浩文