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第3便 福島県田村市春山小学校 ~子どもたちのケア~

復興
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<概要>

NPO法人全国てらこやネットワーク 震災復興プロジェクト
第3回 福島県田村市旧春山小学校へのスタッフ・学生ボランティア派遣
2011年3月28日~4月2日

<目的>
不足物資の提供
避難所にいる子どもたちの勉強をサポートし、遊び相手をしながら、心身の健康への寄与
中長期的支援に向けた、ニーズの把握

<主な活動内容>
避難者と寝食を共にする「共同生活」スタイル
遊び(おんぶ、だっこ、肩車、キック、パンチ、サッカー、キャッチボール、ブランコなど)
勉強のサポート(個別指導、採点)
語り(大熊町職員、町議会議員、消防団員、町民)

<物資の提供>
現場への事前のヒアリングで提示された、、
「野菜ジュース」 300名×2回分
電気アシスト自転車1台
口内炎塗り薬
を提供しました。

<子どもたちのケア>
日頃の「てらこや」活動で行っていることを、現地でも実践してきました。
学生ボランティアが子どもたちのお兄さんお姉さん役として、
勉強のサポートをしたり、一緒に思いっきり遊んだりしました。

<勉強の環境>
田村市教育委員会の協力によって『学習室』が設置されていました。
田村市内にある避難所には全て学習室が設置されており、
午前10時~11時45分(45分×2コマ)の時間帯を学習タイムとしていました。
春山小学校では、これに加え、午後13時30分~15時の間も学習タイムとして設けられていました。
教材(学年、教科ごとに分けられている)と、鉛筆、消しゴム、ノートなどは、
田村市教育委員会が特別に用意してくれていました。
また、東京都足立区からも多くの教材が支援物資として届けられており、
それも大切に使われていました。
教室には、中学生4名、小学生8名が通ってきました。

<食事>
避難者の皆さんと同じ食事を頂きました。

主なメニューは以下の通りです。
朝食:菓子パン一個と飲み物約200ml(牛乳など)
昼食:菓子パン一個と飲み物約200ml
夕食:ごはん、うめぼし、たくあん、みそ汁

<健康管理>
「本日病院へ行きを希望される方は、朝9時に玄関前に集合してください」
「健康相談がある方は、午後3時に○○前にいらして下さい」
「血圧を測りたい方は○○時に○○に来て下さい」
と町の職員が館内放送でアナウンスをするなど、
定期的な健康管理がなされていました。

<インタビュー>

共同生活の期間中、老若男女問わず、多くの方々に話を伺うことができました。
その一部を紹介します。

Q「やっぱり、早く大熊町に戻りたいんですか?」
A「それは、もちろん。早く原発関係が落ち着いて欲しい」(40代男性)
A「戻りたいけど、水道とか、土壌とかの安全が確保されないと不安で、戻れないですよ」(50代女性)
A「いつ頃なら戻れるのか、見通しが欲しい。そうでないと、職探しができない」(20代男性)

Q「関東や関西、九州など、多くの地域、自治体、企業が住宅などを準備して、皆さんを受け入れようと準備しています。
どんな所なら、行ってみたいと思いますか?」
A「住む場所があっても仕事がなければ暮らしていけない。家賃は無料でも、高熱水費はかかる。
収入がなければじり貧になるのが目に見えている。
震災直後、荷物をまとめる時間も与えられずに避難してきた。
身の回りのものや財産になるものも置いてきたまま戻れなくなってしまったからね。」(40代男性)
A「子どもたちの学校のことが気になりますからね…」(40代女性)
A「大熊のことが気になるから、親族のいる県外に避難しないで、残っている。
なるべくなら、役場や町の皆と近くで生活して、様子をみたい」(50代女性)
A「当面の仕事があって、大熊町で暮らせるようになった時、
自由に戻ることが許される状況が用意されるなら、行くかも」(20代男性)話を伺って分かったことは、
相手の立場に立って考えれば当然のことでしたが、
聞くまでは意外と気づいていませんでした。

全体的に、
皆さん、元の生活に戻りたいと思っているということ、
他地域へ移動するなら、「雇用」「教育環境」「住環境」が保障されることが最低限必要で、それでも尚、心理的障壁が残るということが分かりました。

そして、今一番不安なのは、
「大熊に戻れる可能性があるのか?」
「戻れるとしたら、時期はいつ頃になるのか?」
「その間の生活はどの程度保障されるのか?」
といった疑問のように、
先の見通しが全く見えないことであると言います。

もちろん、保障に頼る気持ちだけでなく、
自分の稼ぎをどうするか?個人個人がしっかり考えてもいました。但し、問題が複雑なのは、この件には原発問題が絡んでいるということです。

私が滞在中、ある消防団員が、
「今、会社から連絡があって次の現場を伝えられた。1F(福島第一原発)ということだった。正直、この仕事を受けるかどうか悩んでる。」と話をしてくれました。

話しを聞いて、何かしらの力になりたいと思えば思うほど、
首都圏の電力を他地域に設置された発電所に頼っているという「エネルギー問題」や、それに付随した「雇用問題」など、社会全体の構造から問題解決に向けたアプローチをすることが不可欠であると気づかされました。

現場で解決できない問題を現地の方に鋭く突きつけられた気分でした。

 

 

<大熊町の皆さんから学んだこと>

私たちが訪れた福島県田村市旧春山小学校では、
原発所在地である大熊町の皆さん(約300名)が避難生活を送っていました。
その様子を見て、
語弊があるといけませんが、「いい避難所だな」と感じました。
それは避難所生活のあらゆる所に「自助」と「共助」が見られたからです。
避難所の運営は基本的に大熊町の職員6,7名と、約10名の消防団員が中心となって行われていました。
また、避難者も班分けがされており、毎日夕方頃に班長会議が行われて、町の災害対策本部からの情報伝達や、
町民から本部への要望が伝えられる機会が設けられていました。
避難所の掃除や炊事も班ごとに当番制で行われていました。
しかもそれも、町の職員が班に指示をするのではなく、町民自らの発意と調整によって行われている、とのことでした。
毎朝6時半からラジオ体操が行われていましたが、これも町民自らの意思によって実施しているとのことでした。
町の職員と町民をつなぐ存在として「消防団」の役割も大きかったように思います。
食料の配給や物資の分配などは消防団の手によってなされており、彼らへの信頼感から不平不満がでにくい構造になっていました。
避難所の責任者(町の課長)いわく
「ここの皆は、自分の意思で動けるたくましい人たちです」とのことでした。
ただ、最初の数日は混乱していたようで、
それをどうにかしようと、皆で協力してこのような体制を整えた、という経緯があったようです。

<共同生活から見えてくるもの>

そんなこんなで、避難所のオペレーションが比較的うまくいっていたので、
私たちがいなければ、避難所の生活が成り立たない、という状況ではありませんでした。
退去者もだいぶ出ていた頃でしたので、寝具や食料にも余裕があり、
外から突然やってきた、私たちにも食料や寝床を提供してくれました。
したがって、私たちの活動は、外部のボランティアによる支援というより、
「被災者と部外者による共同生活」と表現したほうがしっくりくるのかもしれません。
私たちは、なるべく避難所の方々と同じ生活をするように心がけ、
無理やり頑張らず、暇なときは、周りと同じようにテレビを見たり、マンガを読んだり、仮眠をとったりしました。
そのかいあってか、避難所の方々と自然に溶け込むことができ、最終的には友達のような関係になりました。同じペースで生活を送ることによって、多くの方々と自然にコミュニケーションをとることができました。
テレビをみながら、ご年配の方と、
洗い物をしながら奥様方と、
夜更かしをしながら若者たちと、
心をうちとけておしゃべりができたように思います。

<子どもたちにお兄さんお姉さんを!!>

避難所の子どもたちへのケアについて感じたことをお伝えしたいと思います。

結論から申しますと、
①子どもたちにとってはストレスのたまりやすい環境であり、
②その心身のケアをする上で、「ナナメの関係」が有効的である、ということです。

言うまでもなく、避難所は多くの人による集団生活です。
保護者が、自分の子どもが周りに迷惑をかけないように、きつく叱る場面も見受けられました。
このような状況を理解し、その場にふさわしい行動をとることは大切ですが、
それだけでは、子どもたちの息が詰まることが容易に想像できます。
また、通常のの生活とは異なる集団生活では、誰しもそれだけでストレスが生じます。
大きな地震を体験した恐怖感も残っていることでしょう。

あるお母さんは、
「普段はそんなことありませんが、夜ひとりでトイレにいけなくなっています。目が覚めることも増えています」
と話してくれました。

私たちは子どもたちの心身のケアをすることを目的にこの避難所に来ましたが、
そのためには、思いっきり遊んで、勉強すること、そして、その相手をしてくれる人がいることが効果的である、
との結論を得ました。
どれも日常では当たり前のことですが、その当たり前の環境を作ることが大切である、ということが分かりました。

それを理解していたからこそ、町の方々は学習室をしっかり設けたのだと思います。

学習の時間、私たちは、子どもが解いた問題の答え合わせをしたり、分からないこと、間違った箇所を教えたりしました。

子どもが取り組んだことをしっかりと受け止め、それにリアクションを返すことで、次の学習へと繋がる、ということを体感しました。
「この時間で○ページまで解いてみよう」
「次はこの問題を解いてみよう」…
子どもたちと一緒に目標を立てたりもしました。
そんなキャッチボールの相手はやはり必要です。(特に小学校低学年)

遊びの時間(学習、睡眠、食事の時間以外すべて)
私たちは何でもやりました。
だっこ、おんぶ、肩車、サンドバック(キック、パンチを浴びせられる)はエンドレスで続きます。
サッカーにキャッチボール、ブランコ…
黙して、隣でマンガを読んでいるだけの時もあったり、
携帯電話を貸して、写メを撮られたりもしました。

正直疲れましたが、すべて、いつも「てらこや」でやっていることなので、全く苦痛ではありませんでした。
むしろ、歓待してもらえて嬉しくもありました。

子どもたちにとって身近なお兄さんお姉さんに感じられる、
大学生・若者には、子どもたちのありのままの感情を引き出す「見えない力」があります。
普段の「てらこや」活動で幾度となく実感してきたことですが、
ストレスの溜まりやすい避難所の生活においては特に、
子どもたちの「ありのまま」を受け止められる大学生の役割は想像以上に大きい、と実感いたしました。

共に思いっきり遊び、学ぶことを続けていると、関係が深まってきます。
共同生活3日目のことですが、
子どもに「遊ぼう!」と言われ、「洗い物の仕事があるから後でね」と答えたら
「僕も手伝う」と言って、何名かの子どもが洗い物を率先して手伝ってくれました。
しかも、一回きりではなく、翌日も自らやってきてくれました。
お湯も出ない中での300名分の洗い物は決して楽ではありませんが、
その作業を楽しく生き生きとやってのける姿に感動しました。
さらには、「明日は一緒にトイレ掃除やろう!朝○時にここに集合ね」と言い出し、
実際に、翌朝一緒にトイレ掃除をやりました。
このような共同生活を続けていたので、
お別れのときは、泣きながら引き留めたり、車を追いかけてきてくれました。

親しんだお兄さんと一緒にいることによって、
普段なら何でもないような、勉強、遊び、お手伝いをすることが、楽しくてしかたなかったのだと思います。

我田引水、自画自賛のような表現になってしまい、申し訳ない気もしますが、
避難所で、ストレスの溜まりやすい生活を送っている子どもたちにとって、
親でもなく、教師でもない、友達とはまた違った存在で、
自分のことをありのままに受け止めてくれる、お兄さんお姉さんのような存在である大学生が重要な役割を果たす!!
という主張を明確に打ち出すために、
自分自身のことを勘定に入れず、あえてこのような表現をさせていただきます。

もちろん、私たち自身もこのような子どもたちと出会い、受け入れてもらえて、大いなる喜びと少しの寂しさを感じることができました。
子どもたちに心から感謝しています。

<今後の活動>

旧春山小学校で避難生活を送っていたほとんど全ての人たちは、
会津若松の東山温泉の旅館で生活を送っています。
やっと家族だけの個室での生活が出来てホッとしていることと思います。
ただ一つ残念なのは、諸事情により「学習室」が閉室されてしまっている、ということです。
また、一緒に遊んだ子どもたちが少し離れてしまったため、以前のように集団で遊びにくくなっているそうです。
連絡先を教えた子どもから、「明日遊びに来れる?」との電話がありました。
残念ながら私は、すぐには行けませんが、春山小学校に一緒に行った学生(何と、実家が会津若松市という偶然!)が
翌日から遊びに行ってくれています。
その学生曰く、「ここでは、より一層学生の力が必要です!」とのことでした。
NPO法人全国てらこやネットワークとして、
一刻も早く、子どものケアをする学生を派遣できるよう、努めてまいります。ちなみに、私は現在学生ではありません。(元学生です。)
今回の避難所では、学生になりきって子どもたちと向き合ってきましたので、
その視点からご報告させて頂きました。

<御礼>

今回、この活動を行うにあたり、多くの方々のご協力を頂きました。
電気アシスト自転車を寄付して下さった方、(個人なので名前の掲載は控えます)
物資運搬、移動の軽トラックを貸して下さった(有)兵藤商事さま、
移動にかかるガソリン代を寄付して下さったNPO法人日本バリ協会さま、
共同生活を受け入れて下さった大熊町の職員の方、
いろいろアドバイスを下さった大熊町の町議会議員さん、消防団の皆さま
お話を聞かせて下さった、町民の皆さま
大きな支えとなって下さった鎌倉震災復興支援ネットワークの皆さま、
様々な物資や応援メッセージを寄せて頂いた、全国の「てらこや」の有志、
留守を守って下さった「鎌倉てらこや」の皆さま、
大切なことにあらためて気づかせてくれた子どもたち、
その他、陰ながら応援して下さった皆様に、
心から御礼申し上げます!!NPO法人全国てらこやネットワーク
専務理事 上江洲 慎