内閣府承認NPO法人 全国てらこやネットワーク

新着情報 新着情報

第18便 岩手県釜石市への社会人ボランティア派遣

復興
復興

【第18便】 岩手県釜石市への社会人ボランティア派遣

日 時:平成23年(2011年)5月24日(火)
場 所:岩手県釜石市鵜住居町(ウノスマイチョウ)第13地割
受入れ:北上JC・釜石ボランティアセンター
参加者:石田喬也、熊川勝、土佐洋子、湯澤大地、山田宏幸
作業内容:津波で浸水した宅地の土を漉き取り、宅地を再生するとともに、土を砂利と砂を分別する。

はじめに
3月11日14時46分に発災した東日本大震災は、宮城県牡鹿半島沖を震源とし、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録しました。震源域は、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及びました。仕事柄、私は、地震災害には敏感なつもりです。私は、神奈川県の横須賀で地震の揺れを感じた時、遠方が震源ならかなり大きい規模の地震だと思いました。しかし、今回の規模は、私の想像領域を大きく超えていました。
そして、この地震により、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高38mにものぼる大津波が発生し、東北地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。水のパワーは理解しているつもりでしたが、改めて今回の津波でその力を思い知らされました。
被災地はどうなっているのか、復興は進んでいるのか。メディアからの一方通行の情報に気を揉んでいたところ、友人の湯澤氏から、復興支援の生の話を聴くことができました。多くの仲間が復興支援で現地に入り、様々な活動をしていること。そして現地へのチャンネルがあることが分かりました。何が出来るのか?いや、とにかく行こう。行けば、何か役に立てることがあるだろう。行かなければ分からないことがきっとある。そんな思いで、今回の支援活動に参加しました。

5月23日(月)

<21:30>
熊川、土佐、湯澤、山田の4人が集合し、神奈川県の逗子を出発。横浜横須賀道路逗子インターから、高速道路を乗り継ぎ、一路東北道を北上へ。途中、料金所では、鎌倉市が発行した「災害派遣等従事車両証明書」が、我々の懐の強い味方となる。発災から2か月以上が経過しているので、料金所の対応も良い。すぐに理解してくれた。

5月24日(火)

<1:00>
東北自動車道の郡山を通過。運転を交代しながら、順調に進む。

<3:00>
北上江釣子IC手前の北上金ヶ崎PAに到着し、仮眠。

<5:20>
北上駅到着。ここで石田氏と合流予定。

<5:50>
石田氏と合流し、釜石へ向かう。石田氏は夜行バスで北上駅までいらした。途中、コンビニで昼食などを調達する。

<7:30>
仙人峠道路が大渋滞。平日なのに、こんなに混むのか。どうも、仮設住宅建設部隊が多く現地入りしているらしい。かえって土日の方が混雑しないようだ。自衛隊はだいぶ減っている。

<9:00>
釜石ボランティアセンター到着。受付するとともに、朝のお決まりごとで、仮設トイレを使わせていただく。消毒薬の強烈な匂い。被災地に来た気になる。しかし、道中、ここまでは、町に壊滅的な被害はないように見える。

<9:20>
我々を含め、12~13人程で1班が編成され、作業に向かう。この時点では、作業内容の詳細は分からない。ボランティアセンターのワンボックス車にスコップや一輪車を積み込んでいるので、「土」を扱う作業になることは間違いない。最近やっていない肉体労働。すこし不安だが、昔取った杵柄で、頑張ろう。ちなみに、ボランティアセンターの担当者曰く、「地味だが、かなりきつい作業」を用意しましたとのこと。これも、コーディネートしてくれた湯澤氏と現地の菊池氏のご配慮によるものらしい。感謝しよう。
車は釜石市街を釜石港の方へ向かい、さらに大槌町側へ北上する。ボランティアセンターより港側は、津波で甚大な被害を受けている。新潟中越地震の発災直後にも現地に入ったが、被害状況が大きく異なる。今回は、地震というより、とにかく津波による被害が圧倒的な印象だ。映像ではなく、目の当たりにすると、より強く感じる。

<9:45>
鵜住居町の河川沿いの現場に到着。作業現場付近から少し上流側まで、津波の痕跡が残る。ボランティアセンターの方から作業内容を説明していただく。今回の作業は、津波で浸水した宅地の土を漉(す)き取り、塩水と砂が浸透してしまった宅地を再生するとともに、漉き取った土を、砂利と砂に分別すること。土木用の機械を使えば作業が早いように思うが、重機を入れることが出来ない区域のようだ。スコップにバール、鍬、一輪車、越し網を手に、作業に入る。地味だが、かなりきつい作業という意味がよく分かった。

<10:30>
盛岡消防本部の有志20人が合流した。皆さんは仕事でも来ているが、今回は非番(つまり休み)を利用して有志で応援に来たとのことで、本当に頭が下がる。
先陣は2手に分かれ、我々5人は消防の面々とともに、作業を続ける。他の先陣隊メンバーは、別の作業現場に向かった。
さすが、消防パワーはすごい。一気にペースアップ。作業がどんどん進む。さらに、越し網の調子が悪いと見るや、スーパーの買い物籠で代用し、これが優れもの。機転の利き方もたいしたものだ。


<12:00>
途中休憩を挟み、昼食タイム。隣接する河川堤防に座り、コンビニで入手したおにぎりを食べる。すこし晴れ間も見える曇り空だが、とてものどかで、この堤防が溢れ、津波が道路まで押し寄せたとは思えない。しかし、少し下流側に目を向けると、河川沿いの家屋が損壊している。信じ難いことだが、現実である。

<13:00>
作業再開。皆、自然に役割が分担され、作業にも慣れ、手際が良くなる。当然作業効率が良くなり、見る見る宅地が再生していく。さすが消防の方々なので、きっちりと休憩時間を挟む。現場作業をする上で、これは、とても大切なこと。皆さんも是非実行していただきたい。

<15:00>
作業完了。何度、スコップを上下し、一輪車を何往復したことだろう。人力でこれだけの土を処理するのは、やはりかなり骨が折れる。盛岡消防の皆さんに感謝だ。先陣隊だけでは、1日では終わらなかったかもしれない。

<15:30>
盛岡消防の皆さんと記念撮影してお別れし、大槌町と釜石市内の被災状況を視察する。
強固に築造した防潮堤が、無力にも破壊されている。破損した原因をしっかりと分析する必要がある。
ボランティアセンターに名札を返却し、作業は全て完了した。

<作業後>
石田氏と湯澤氏は、明日の予定があるため、本日帰宅となる。北上駅までご一緒し、残りの3人は北上駅付近の寮に宿泊する。この寮は、第10便でも使わせていただいており、北上市のてらこやメンバーが自社の保有する寮を、県外からのボランティアのために開放してくださっているもの。ありがたく利用させていただく。風呂後夕食、そして就寝。

5月25日(水)

当初午前中作業予定だったが、3人のうちの1人が同日夜の地元での仕事に間に合うように帰宅する必要があり、沿岸部の被害状況を視察することとした。
7:00に寮を出発し、陸前高田市に向かう。北上市街を抜け、しばらくのどかな道を進む。やがて、陸前高田の道路標識が目に入ってくる。山道から平坦地に変化し、しばらく走ると視界が開けた。思わず息を呑んだ。その光景は、あまりにも衝撃的であった。「見渡す限り、根こそぎ、全てを持っていかれた。」 様々なメディアが伝えてはいるが、これほどまでとは。津波のパワーは、自分の想像をはるかに超えていた。

陸前高田市へ

陸前高田市-陸前高田病院

陸前高田市-瓦礫撤去作業

陸前高田市街-被災建物

続いて、大船渡市、そして気仙沼市を視察した。津波がひどかったところ、火事が広がったところなど、被災状況も大きく異なる。また、気仙沼の支援が遅れているように感じた。気仙沼では、発災後2か月以上が経過した今でも、自衛隊の方々が瓦礫の掘り起こし作業を人力で行っていた。また、進入禁止箇所の交通誘導員の数も足りていないように感じた。

大船渡-打ち上げられた船

大船渡-線路・駅・車・船

大船渡-震災で緊急停止したままのドラゴンレール大船渡線

気仙沼-打ち上げられた数々の船

気仙沼市街

気仙沼郊外

しかし、気仙沼では確かな復興も感じられた。お店と蔵が倒壊した造り酒屋では、仮店舗で営業を再開し、復興日本酒「負げねえぞ気仙沼」を販売していた。

気仙沼-酒屋の仮店舗

気仙沼-復興に向けた取組み

おわりに

どれだけ復興支援の足しになるのだろうか。行く前は、そんな思いもありました。しかし、釜石ボランティアセンターに到着し、そこで働く様々な人の様子や、ボランティアに参加している人の姿や表情を見た時、そんな思いは消え去りました。
とにかく、出来ることをやる。そして、起きたことを後世に伝え、この経験を生かすことが大切だと思います。「情けは人のためならず」と言いますが、そのような次元を超えて、この復興支援は、同じ時代を生きる人として、日本という同じ国に生きる人として、なすべきことだと思います。
もちろん、直接現地へ行かなくても、様々な形で復興支援をすることはできますし、またそれも、とても重要な活動です。しかし、体感した者としてあえて言えば、1人でも多くの人(特に、国や地方のイデオロギーをリードする政治家や国と地方の首長)が、被災地でのボランティア活動に参加し、現地を体で感じてほしいと思います。また、目に見える形で、被災地を支援し続け、被災された方々と繋がることが大切だと感じました。
事務局や現地スタッフの皆さまには大変お世話になりました。この場をお借りして、お礼を申し上げますとともに、これからも皆で頑張りましょうとエールを送りたいと思います。

文:山田宏幸

気仙沼-復興に向けた決意