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第23便 福島県会津若松市へ避難所訪問

復興
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概要

日時:平成23年6月14日(火)
行き先:福島県会津若松市
参加者:湯沢大地・上江洲慎・小木曽駿
目的:「てらネット合宿」後の子どもたちのアフターケア・公益社団法人会津JC・OB齋藤さんとのお打ち合わせ

“とある約束”を果たすために…

「震災支援第23便」として会津若松を訪れたのは、6月3・4・5日に開催した「第5回てらネット合宿in建長寺」(神奈川県鎌倉市)で交わされた、“とある約束”を果たすためでした。
本年度の「てらネット合宿」は、全国各地の「てらこや」から集まった子どもたちに加え、原発事故の影響で避難所生活を余儀なくされている福島県大熊町の子どもたちを招待して合宿を開催しました。前泊も含め2泊3日の建長寺での時間はあっという間に過ぎ去り、合宿のテーマであった「おもひでが、メガ、ギガ、テラこや!」よろしく、その小さな胸にこぼれんばかりのたくさんの「思い出」を抱えてくれた様子の大熊町の子どもたちは、全国の子どもたち、大学生のお兄さん・お姉さんに別れを告げました。
(【第20便】「てらネット合宿」の様子はコチラをご覧ください)

いっぱいたくさん遊び尽くして、

てらネット合宿」は楽しかったかな?

そして、会津若松までお見送りをする上江洲てらネット専務理事と大学生数名とともにバスに乗り込んで、「いざ福島に帰ろう!」とバスが出発したとき、子どもたちから声が上がったのです。

「ねー、お土産はどこで買えるの?」

金曜日の夜に鎌倉へ来て、2泊3日の合宿を体験している子どもたちはかなり疲労がたまっているはず。そして本日福島に戻り、また翌日の月曜日には朝から小学校へと行かなければならない。そのことを考えると、会津若松まで子どもたちをなるべく早く送り返さなければと考えた上江洲専務理事は、なんとかその場を諌めようと、子どもたちを宥めます。しかし、
「えーっ、お土産買えないのーっ?お母さんに「鳩サブレ」買ってくるって約束したのにっ!」
と、子どもたちからの不満の声はますます募るばかり。そこでその場を乗り切るため、苦し紛れに、

「今度、お土産として「鳩サブレ」、たくさん持っていくからさ!」

と子どもたちと約束をしてしまったのです。

約束をしてしまったからには、その約束をしっかりと果たしたい。そこで合宿からおよそ1週間が経ち、後片付けの目途が立った6月14日に、たくさんの「鳩サブレ」と、合宿の最終日に撮った「全員が写った集合写真」を手土産に、福島県会津若松市を急きょ訪れることになりました。

鎌倉名物鳩サブレと、

プリントした写真がお土産。

<一路会津へ>
会津行きを決めたのは前日深夜。そこで豊島屋さんに開店早々駆け込み「鳩サブレ」をGETするとともに、こちらも開店早々駆け込んだ写真屋で集合写真をプリントアウト。鎌倉にてお土産を速攻で揃え、車を出していただいた湯澤てらネット顧問の運転により、一路会津へ向けて弾丸復興支援便出発。

結局鎌倉出発は11時過ぎに。

道中休憩でよったPAでは、

復興支援のための自動車を発見。

救援物資を運ぶ車や、地震で波打った地面の復旧工事がまだまだ行われています。

 

<子どもたちとの再会>

特に渋滞に巻き込まれることもなく、会津若松へ到着したのは16時過ぎ。まずは、合宿に参加してくれた子どもたちが多く避難している「東山グランドホテル」へ。ホテルのロビーに到着するも子どもたちの姿は見えず。どうやら、まだみんな小学校から帰って来ていない様子。
お土産を配る準備をしつつロビーで待たせてもらっていると、ホテルの前に数台のバスがやってきて…。バスのドアが開き、聞き覚えのある子どもたちの声がロビーまで響いてきます。そして私たちを見つけた瞬間、
「うわぁー、しんちゃんだ!」「あ、ちょんまげの人!」と大歓迎してもらいました。

大熊町のみなさんが多く避難されている「東山グランドホテル」

大歓迎してくれた子どもたち。

相変わらず元気そうでなにより!

そしてさらに、子どもたちからの矢継ぎ早の質問攻めは続きます。
「きょう、ヨギータいないの?」「けーちゃんは?」と、今回は来ることができなかった大学生メンバーの名前を出して、とっても会いたがっている様子。「またみんなでくるよーっ!」とまたしても約束してきてしまったので、大学生のみなさん、子どもたちと思いっきり遊ぶため、近いうちにまた会津へ行きたいですね。

<避難所での子どもたちの様子>

早速子どもたちに、お土産の「鳩サブレ」と「合宿の集合写真」を渡すことができました。そして20分ほど遊んだあと東山グランドホテルを出発し、同じく避難所となっている「東山パークホテル新風月」「千代滝」「ホテル玉屋」を周り、それぞれ子どもたちと再会しお土産を渡しました。お土産にも喜んでもらえたのですが、それよりも何よりも、子どもたちにとって、福島まで私たちが来てくれたことを喜んでもらえた様子。ほんの僅かな間の再会だったのですが、合宿の終わりに流したスライドショーを顔をくしゃくしゃにして見つめながら一緒に合宿の思い出を語り合ったり、私たちの車を見えなくなるまで走って追いかけてきてくれた子どもたちの姿を見たりすることができただけで、今回会津に来て、「本当に良かったなぁ」と手ごたえのようなものを感じることができました。

避難先のホテルを周り続々と再会を果たすことができました。

ホテルを移動する際、走って追いかけてきてくれた子どもたち

子どもたちの様子を見ていて気付いたのは、各ホテルの中で異なる学年の子どもたちの仲がとても良さそうで、みんなで一緒にホテルの中を走り回って元気に遊んでいるということです。また、みんな学校から帰ってくると、まずしっかりと宿題を済ませようとしている姿がとても印象的でした。避難所へとやってきた当初は、各人それぞれ一人でゲームをしていたり、夜怖い夢をみて眠れない子がいたりということもあったと聞いています。もちろん今でも、表に感情を出さないだけで、子どもたちの心の奥底には、周りの多くの大人たちと同じように、地震を体験した際の恐怖がこびりつき、ふとしたときに不安が首をもたげる瞬間があるのかもしれません。
それでも学校が始まり、子どもたちの日々の生活にリズムが戻ってきたことで、「避難所生活」という非日常の生活がだんだんと日常化し、避難所内での生活が落ち着き始めているように感じました。

しかし、子どもたちを取り巻く環境は依然として厳しいままのようです。ホテルのロビーには、7月いっぱいを持って避難所を閉めるという案内が出されており、今後仮設住宅等への再移動を余儀なくされる状況が迫っています。やっと避難所での生活に慣れつつあるにも関わらず、また新たな環境へと投げ込まれざるを得ない子どもたちの状況を前に、「てらネット震災復興プロジェクト」が果たさせていただくことのできる余地はまだまだたくさんあるのではないかと感じました。当然のことながら、被災地の方々にとって震災は、まだ続いているのです。

下校後、早速宿題に励む子どもたち。えらい!

youtubeにアップされたスライドショーに興味津々。

また会いに来るからね☆

 

<中・長期的支援へ向けて>

子どもたちへとお土産を届けたあと、会津における一連の「子ども支援プロジェクト」にてお世話になっている会津JC・OBの斎藤さんと、今後の活動の展開について打ち合わせを行いました。

地元の名店「徳一」さんにて、

いただいた「高遠そば」は天下逸品。ご馳走様でした!

斎藤さんと今後の活動方針や、8月の夏休みの時期に予定している具体的な活動について意見交換をさせていただきました。斎藤さんは自ら会津若松にて「会津てらこや」を立ち上げ、避難している大熊町の子どもたちと会津若松の子どもたちが交流する、子どもたちのための支援プロジェクトを行っていく予定とのことでした。今後、「会津てらこや」でどのような活動が展開されていくのかとても楽しみです。

会津若松における復興支援の局面は、緊急的なSOSへの迅速な対応・瞬発力が求められた“短期的な活動”から、継続性を見据えた“中・長期的な活動”へと徐々に移行していく過渡期にあると感じました。「全国てらこやネットワーク」では、大熊町の子どもたちとの数回にわたる支援プロジェクトを通じて、“被災者”と“支援者”という関わりの枠組みを超えて、お互いに名前を呼び合えるような「顔の見える関係」を築くことに成功していると思っています。そうしたお互いの信頼で結ばれた関係をベースとして、「全国てらこやネットワーク」が“中・長期的な活動”として、大熊町の子どもたちと大学生が継続的に関わり合うことができる環境をどのように整備していけるのかが次なる課題です。行動しながら考え、一つひとつ課題を解決していく必要があると思っています。
そうしたことを考えているうちに、20時半に会津を出発した車は0時過ぎには鎌倉に到着。急遽行われた「復興支援第23便」も無事にその使命を果たすことができました。

 

<最後に>

鎌倉・建長寺にて子どもたちが合宿を行っていたとき、大熊町では一時帰宅が実施されていました。しかし、合宿にも参加してくれたある子の自宅は福島第一原発からわずか2.5kmのところにあり、自宅への一時帰宅すら認められなかったとのことです。このまま原発事故がどのように終息へと向かっていくのか私にはわかりませんが、少なくとも今後数年間は自分が生まれ育った故郷に帰ることすら叶わないでしょう。生まれ故郷を奪われてしまったという意味の本当の重さに子どもたちが気づくのは、もう少し齢を重ねてからなのかもしれません。

非常に重い現実を大熊町の子どもたちは突きつけられていると思います。しかしだからといって、特別な意識を過剰に持って私たちが子どもたちと接するのも違うと感じています。私が大熊町の子どもたちと顔を合わせるのは、【第14便】(5月22日・福島県会津美里町での会津てらこや祭り)、【第20便】(6月3~5日・神奈川県鎌倉市でのてらネット合宿)に続いて3回目ですが、大熊町の子どもたちが私たち大学生に求めてくることは、いつも「思いっきり遊ぶこと」につきます。そしてそれは、「震災復興プロジェクト」であっても、全国で行われている各地の「てらこや活動」であっても同じです。子どもたちと関わらせていただく中で私が出来ることは、「子どもたちと本気で遊ぶこと」を通して、お互いに信頼関係を深めていくことしかありません。スポーツ大会や合宿でつながることができた子どもたちとの関係を、何回も関わりを重ねることでさらに深め、お互いに信じ合い、想い合える人間関係を築いていくこと。このことこそが、「てらこや」の本質であるという確信を今回の訪問で改めて新たにすることができました。

突然の訪問であったにも関わらず、とびっきりの笑顔で私たちを迎えて下さった子どもたちと保護者のみなさん、またお忙しい中お時間を作っていただきお蕎麦をご馳走いただいた斎藤さん、本当にどうもありがとうございました。そして今後とも、どうぞよろしくお願い致します!

またね!

 (早稲田大学大学院生 小木曽駿)