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第34便 岩手県釜石市 瓦礫撤去

復興
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概要

◇ 第34便てらネット支援活動 ~岩手県釜石市・ガレキ撤去
NPO法人全国てらこやネットワーク 震災復興プロジェクト

活動日 : 平成23年7月24日(日曜日)
主活動 : ガレキ撤去 他
受入れ : 北上JC・釜石ボランティアセンター
参加者 : 山田さん、小野さん、土佐さん、石澤(記録)

初めに

3月11日に東日本を未曾有の大震災が襲ってから3ヶ月が経とうとしているある日の夜、友人・知人が集まった会食の場で、参加者の一人の「勤続特別休暇を利用して災害復興ボランティアに行こうと考えている」という事を耳にした。詳しく聞いてみると、一週間位滞在するつもりとの事。彼の行動が、“ボランティアに行きたいな”と漠然とした思いは持ちながらも、中々きっかけが掴めずにアクションを起こさずにいた小生の背中を大きく押してくれた事になった。

現地に伺う日程が決まり、諸々準備を始める。幸いな事に仕事柄(建設関係)被災地に関する情報は入り易く、色々と調べてみた。又、既に現地にボランティアに行った事がある友人・知人あるいは会社の同僚等からもアドバイスを貰う。異口同音に“結構重労働ですよ。暑さも大変ですし!一緒に行った皆さんの足手まといにならないように!”との事。若干不安な気持ちを抱えた中で当日を迎えた。

②7月23日 出発
PM9:30に葉山の拙宅へ土佐さんが迎えに来てくれた。その後、逗子で山田さんをピックアップし、10:00過ぎに小野さんと待ち合わせしている横浜市栄区のコンビニの駐車場へ到着。仲間の一人がお子さんを連れて見送りにきてくれている。いつもながら彼の気遣いには深謝。
PM10:30位に駐車場を出発。今回小生以外のメンバーは既に何回か現地に行っており、道順・料金所通過等戸惑う事なくスムーズに移動。途中、何回かSA等で夜食・休憩等を取りながら一路北上市へ向かう。

<7月24日 現地入り>

車中、小野さん・山田さんから、震災直後は高速道路も結構傷んでいたおり、慎重な運転が必要だったが、補修が進み大分スムーズに走れる状況になったとの話を聞く。北上市には予定より少し早くAM5:30位に到着。IC近くのコンビニの駐車場で時間調整をし、AM6:30に先行して乗り込んでいる疋田さんと宿で合流。彼は既に一週間近く滞在しており、ベテランの雰囲気を醸し出している。聞けば、昨日は一日休みを取り、最終日の今日に向けて英気を養ったとの事。土佐さんも防災服を身に纏い、準備万端の状況。

北上~釜石迄の移動中、初めて訪れる被災地の状況を車窓より観察していたが、例えば、建物の倒壊等、直接的な震災被害は視界の範囲では余り目に付かなかったのが第一印象。但し、被災地の皆さんにエールを送る横断幕等、あるいは、現地の方々からの感謝の横断幕等が各所にあり被災地に来たという事を強く感じた。

AM8:00頃釜石市のボランティアセンターへ到着。受入をして下さっている現地釜石市及び釜石JCの方々に挨拶をする。今回使わせて頂いた駐車場は少し前迄は、自衛隊の救助車両
の基地になっていたとの事。現在は、ボランティア関係者等の他県ナンバーの車両がかなり駐車している。近くには、大分県教職員組合の車両が止まっていた。聞けば、昨日大分を出発し、24時間かけて交代で運転しながら現地に到着したとの事。頭が下がりました。

朝礼形式でJCの方から作業内容の説明を受ける。本日は、釜石市内のお宅の清掃及び家具等を一次保管所に移動する作業との事。ご一緒に作業させていただくのは、JR東日本労働組合の皆さん。定期的にボランティアへ来ているとの事。揃いのつなぎ・揃いのハットを身に纏い、移動車両の中には、マイボランティアツールを積まれていた。同僚から言われた“足でまといにならにように!”とのフレーズが頭の中をリフレインする。頑張らなければ!

朝礼が終わり、作業開始。まずは、ボランティアセンターより機材等を2トントラック・軽トラックへの積み込み。清掃用の500L容量の水タンク等初めて目にする機材が結構あった。皆さん手馴れた様子で次々と機材と積み込み、短時間で準備完了。因みに、2トントラックの運転は大型免許を持っている山田さんが担当。大きな車を運転する時の山田さんは、なぜかとても楽しそう。安全運転でお願いしす!

作業前はポロシャツもきれい

(500L容量の水タンク)

作業開始

9時半作業開始。清掃班と家具移動班に分かれる。一階の駐車場部分と二階の居住部分が津波
の被災と受け、汚泥等でかなりの汚れがある。床あるいは天井裏等にこびり付いた汚泥を清掃する作業は予想以上に困難。ブラシでかき出した後に、高圧洗浄機で洗い流す作業。

(汚泥へ立ち向かう疋田さん)

(作業終了)

一方、家具移動班は郊外の廃校になった高校の体育館への家具の一次保管。2トントラックの荷台へ傷が付かないように布等で保護し、丁寧に積み込む。保管先までは、市内から約30分程度の距離。運転はもちろん山田さん。手馴れた雰囲気でトラックを走らせる。途中には、廃車となった車が保管されている警察署の駐車場、被災地の皆様を元気づけるテレビ番組の収録会場等が車窓より見えた。
山間の中にある廃校となった高校に到着。少し標高がある場所にあり、幸いにも被災を免れた建物との事。元体育館には、既に一次保管の荷物がかなりの量運び込まれていた。一家族毎に、ブルーシートが引かれたその上に荷物を置いていく。体育館には、ボランティアの方々が待機されており、荷物の上げ下ろしの手伝い・置き場所の指示・置き方のアドバイス(余震に備えて崩れないように置く)等をしていただく。都合、2トン車で5回往復し荷物を運び込んだ。

(被災した車)

ビストロSMAP収録会場)

(保管場所内部)

(荷物の搬入)

(仮設住宅)

<ボランティアに行って感じた事>

震災後約4ヶ月が経った被災地は、公共用地(道路等)だけは瓦礫が取り除かれ通行可能にはなっていたが、民間の建物・住宅等は殆ど手が付いておらず、至る所に震災の生傷・爪痕が残っている状況だった。メディア等で被災地対策の遅れを日々耳にしてはいたが、正直、“遅れ”ではなく、“未着手”というのが第一印象で強いショックを受けた。

その中で、たった一日だが初めてボランティアに参加させて貰った。作業内容は前述のように被災した民家の掃除と家具の運び出し。当日参加した人数は10名程度。たった一軒の民家で10人が一日働いて作業は完了しなかった。正直予想外に手間がかかった。

震災直後は、炊き出し等の行動で民間ボランティアの活動も頻繁にメディアに取り上げられた。最近は、政治・行政の対策の遅ればかりにフォーカスされ、民間ボランティアのやる事・出来る事から目が離れがちな環境にあるように感じる。

現地に行った感想は一言“民間ボランティアはまだまだやる事はいくらでもある。”これからも出来る限り、協力していきたい。

最後に、ボランティアに参加する機会を作って下さった関係の方々にこの場をお借りして謝辞を申し上げたい。

文責:石澤 護

 

<追伸>

土佐さんが前回お約束した横浜土産をお持ちしたのですがあいにく休みでした。残念!

<H23年7月24日の釜石市内>