第32便 報告書
復興概要
第32便報告書疋田 浩一
期間平成23年7月19日(火)・20日(水)・21日(木)・22日(金)・24日(日)
行先岩手県釜石市
受入先北上JC・釜石ボランティアセンター
参加者疋田浩一・矢野覚・田中誠
作業内容瓦礫撤去
出発まで
自分は、かねてより東日本大震災の支援ボランティアへ行ってみたいという思いがあったが、仕事の都合でなかなか実行に移せなかった。しかし、最近になって勤め先より2週間の勤続25周年休暇を頂いた。大抵は夫婦で海外旅行に行かれる方が多いそうだが、残念ながら自分には伴侶はいないし、旅行なら後でもできる。そこで「今しか出来ないこと、今やるべきことをしよう」と思い立ち、てらこやネット顧問の湯澤さんに「7月下旬に一週間位、瓦礫撤去に行きたいんですが」と思い切って相談した。
ありがたいことに、「ではそれに合わせて瓦礫撤去週間として震災支援便を組みましょう」と早速対処して頂き、最終的に次表の通り震災支援第32,33,34便が組織されることになった。
第32便 疋田:19・20・21・22・24日
矢野:19・20・21・22日
田中:19日
第33便:20日(田村、東海林、足立、矢野)
第34便:24日(山田、小野、石澤、土佐)
この第32便であるが、偶然にも同じタイミングで「勤続20周年休暇が与えられたので支援ボランティアに行きたい」と同じ志を持つ方が現れた。矢野さんである。実は矢野さんとは今回が初対面、まさに神のめぐり合せと言うしかない。また田中さんはご多忙中のところ釜石行き移動と作業1日目にご参加頂けることになった。初心者の自分にとっては非常にありがたい。
ただ湯澤さんからは、「もう30便を超え、そろそろ事故とか怪我が心配だ。特に今回は今までにない長期間なので十分気を付けてほしい」と言われ、改めて、軽い気持ちで出掛けてはいけないと気を引き締めた(つもり)。
■出発(7/18夜)~1日目(7/19)
◆作業場所 釜石市箱崎地区 ◆作業内容 側溝泥さらい
19時過ぎに自宅を自車で出発。これが期間中第32便の足となる。
20時JR逗子駅集合、湯澤さん・矢野さんご家族のお見送りを受けて釜石へ向けて出発。
順調に東北道を進み、5時45分頃には釜石VCに着いた。
集合時刻(8時30分)よりかなり早く着いたので、釜石市街を車で軽く廻ってみたが・・・
津波被害に遭ったのは釜石駅より海側のみ?そこも既に結構片付いている??第一印象はそのようであった。
8時30分前には北上JCの菊池さん、和田さん、松山さんと合流。
菊池さんは釜石VCとのやりとりを含め現地での調整作業を一手に引き受けて下さり、また作業現場での監督役もこなし、本当に頭が下がる。また和田さんは菊池さんの片腕として活躍され、菊池さんが他の作業現場を見ている時は和田さんが作業現場監督である。なおお二人は近い将来、震災支援のNPO法人を立ち上げるとのことである。
松山さんは大学生、一週間ほどボランティアに入っている。やまとなでしこのような雰囲気だが、作業に入ると重量物を全身で受け止めて運ぶ。感心してしまった。
その菊池さんが、「今日は軽めの作業を選んでおきました」ということで、作業用具を軽トラに積み込み、作業現場の箱崎地区に向かうが・・・市街地を離れると、津波被害に遭った地域は未だ家屋の残骸と瓦礫がそのままの悲惨な状況にあることを見せつけられた。
作業場所は釜石VCから北東方向へ約7km、大槌湾内の箱崎漁港のそばであった。近くには地区の人々が使う水場があるのだが、そこから溢れる水の水路(道路の側溝)が泥で埋まっている。その泥さらいが本日の作業だ。作業者は菊池さん(監督)、和田さん、松山さん、第32便3名の計6名。
大したことはないか、と思っていたがとんだ間違いだった。実は泥の中には様々な瓦礫、漁具、工具等が埋まっていて、かき出すのが一苦労、またそれらを土嚢に詰めて運ぶのも結構重い。何とか一通り泥さらいできた、といったところだった。
15時頃に現地作業終了。釜石VCに戻って作業用具を洗って片付けたら一日の作業が終了である。
その後は菊池さん達と別れ宿泊場所に向かうのだが、壊滅的被害を受けた市町村の一つとしてよく報道される大槌町に立ち寄ってみることにした。
果たして、市街地は広大な廃墟のような景色が広がっていた。津波に遭うとこんなになるのか・・・只々圧倒されるばかり、返す言葉が無い。この後、ここはどうなるのか?全く考えが及ばない。
その後は約2時間掛けて北上市の宿泊場所に到着。北上工業団地と工業高校の傍で、企業の独身寮である。期間中はここのお世話になる。寮のオーナーのご厚意により低料金でご提供頂いたことは本当にありがたい。あと乾燥機付洗濯機が完備されていて助かった。これで汚れた作業着を夜のうちに洗濯して翌朝着ることができた。
■2日目(7/20)
◆作業場所 釜石市街(只越町) ◆作業内容 家具出し・内装撤去等
朝、本日新幹線で帰途につく田中さんを北上駅へ送った後、釜石VCへ約2時間のドライブ。
途中で遅い車に行く手を阻まれてしまい、8時30分より少々遅刻してしまった。明日からはもっと早く寮を出よう。
釜石VCにて第33便と合流。少しほっとする。矢野さんは第33便に参加している高校生の息子さんと再会。
今日は釜石市街の只越町にある個人の4階建ビルが作業場所である。作業者は和田さん(監督)、松山さん(本日が最終日)、第32便2名、第33便4名、さらに幾つかのボランティアグループとも一緒に作業した。
作業場所に着いて、釜石市街でも瓦礫が片付いているのは表通りに面した部分だけだというのがわかった。また写真を見ればわかる通り、2階まで津波がやってきている。
作業はまず泥水をかぶってしまい処分を希望される家具類をひたすら運び出すところから始まった。その後、1階(店舗)の内装撤去と洗浄作業の途中で15時となったので、残りは翌日に持ち越された。この日は少なくとも10人以上は同じ建物で作業していたと思うが、結構人と時間がかかるものだと感じた。
作業終了後、矢野さんが息子さんに大槌町を見せたいということで再び大槌町市街地へ。この景色を見て感じることは人さまざまだろうが、今後、息子さんが今日見たこと感じたことをきっかけとしてボランティア活動により興味をもらえれば幸いである。
■3日目(7/21)
◆作業場所 釜石市街(只越町) ◆作業内容 内装撤去・洗浄等
今朝は6時に北上市の宿泊場所を出発、8時30分には余裕で釜石VCに到着。
本日の作業は昨日の続きである。作業者は菊池さん(監督)、和田さん、第32便2名、その他に幾つかのボランティアグループとも一緒に作業した。
内装撤去はほぼ完了したが、一階天井部分の洗浄に手間がかかった。鉄骨部分にウレタンのようなものがかなりこびり付いているためだ。脚立を使わないと清掃用具が届かないし、作業者にばらばら降りかかってくるので効率が悪い。
そうこうしているうちに、脚立作業が不安全ということで、VCより作業中止指示が来てしまった。
詳しい経緯はわからないが、これはボランティア作業においてなかなか難しい問題が存在していると感じた。
もし事業者が雇用者に対して業務に従事させるのならば、様々な法律が存在し作業安全を確保しなければ違反であり事故が発生すれば責任を追及される。一方ボランティアの場合、雇用関係ではなく自己責任で作業している。しかし、VC側が危険かもしれないと認識している作業を依頼し、ボランティア側も危険性に気付かずに作業して不幸にも事故が発生してしまったら問題になるだろう。結局は適切な作業ガイドラインを設定しVCとボランティアの双方に周知させることが必要になるのではないかと思った。
本日は少しばかり作業が早く終わってしまったので、矢野さんと二人で大船渡市と陸前高田市を視察することになった。
大船渡市へ向かう途中、1日目の箱崎地区と同様に海に面している集落で壊滅状態となっているところを見かける。「ああ、あそこも全滅だ・・・」明日そこで作業することになるとは、その時全く想像していなかった。
大船渡市も釜石市と同様、港に近づくまで津波の被害はよくわからない。しかし港湾地区に入ると一転、廃墟のようになった。
陸前高田市は地図にある高田松原付近が全然、無い。地形が変わってしまったようだ。大槌町のような(より広いかもしれない)広大な廃墟が広がっていた。
■4日目(7/22)
◆作業場所 釜石市唐丹地区 ◆作業内容 瓦礫整理
今朝も8時30分には余裕で釜石VCに到着。
本日は菊池さんと和田さんはお休み。3日ボランティアの作業をして1日休む(本来の仕事をしている、とも)パターンだそうだ。作業者はJC今野さん(監督)、北上市消防1名、盛岡市消防3名、第32便2名、午後からさらに東大農学部事務官2名も参加された。
作業場所は釜石VCから南南西方向へ約8km、唐丹地区という唐丹湾に面した集落である。
この地区に近づくとまず目に付くのは巨大な堤防であるが、津波は易々と堤防を越えたことになる。小学校校舎と体育館を除いて、家屋は基礎しか残っていない。
ここは重機が既に入っていて、大まかには瓦礫を寄せ集めつつある。作業は瓦礫を種類別に選り分けてほしいとのことであった。
本日ようやく「瓦礫」を相手にしたのだが、きりがないように思える内容と、作業4日目ということもあってかどっと疲れが出る作業だった。
■5日目(7/23)
◆休息日
朝、これまで作業を共にしてきた矢野さんを北上駅へ送る。矢野さんは新幹線で帰途についた。
本日は作業を休んで休息日とした。実は3日目が終わったところで、菊池さんから休息勧告が出ていた。
午後、地震があり結構揺れた。
■6日目(7/24)~帰還(7/25)
◆作業場所 釜石市街(大渡町) ◆作業内容 家具出し・洗浄等
今朝は6時に北上市の宿泊場所にて第34便と合流。もう第32便は自分一人なので第34便の車に乗せてもらう。8時30分には余裕で釜石VCに到着。
今日は釜石市街の大渡町にある2階建の個人宅が作業場所である。作業者は和田さん(監督)、第32便1名、第34便4名、さらに、JR東日本労組のグループとも一緒に作業した。ここも写真を見ればわかる通り、2階まで津波がやってきている。
作業はまだ使えそうな家具(依頼者が1階に移動済)を指定場所に移動し、残りを処分し、最後に洗浄作業である。
少々難儀したのが1階天井部分の鉄骨に付着した泥やゴミの洗浄である。高圧洗浄機を使ってもなかなか取れない。しかし和田さんによると泥は海からやってきたもので塩分があり、流し落とさないと後から錆びてくるとのこと。少しずつ落としていった。
作業途中で15時を廻ってしまったので、残りは明日以降に継続となった。
作業終了後、長いことお世話になった菊池さん・和田さんと握手を交わし、再会を約束した。
翌日未明、また割と揺れる地震があった。
朝7時に北上の宿泊場所を出発、帰途につく。15時30分頃に自宅到着、7日前に出発してからのキロ数は2088.9kmに達した。
■追記
ともかく、行ってよかった。これを第一に言いたい。
今回のボランティア行における被災地への自分の貢献は微々たるものだろう。しかし、自分にとっては被災地の状況がどんなものか、自分の目で確かめることができた。被害の状況はTVを見て感じるよりはるかに厳しくて、また多くの場所で復興はおろか後片付けさえ進んでいない。何とかしないと、という思いは強くなった。
第二に、幾つか考えさせられることがあった。
荒っぽい言い方をすると、被災地には2パターンある。一つは壊滅状態にあるところで、もう一つは市街地のように建物が鉄骨造りで比較的残っているところである。前者は、許されるのならば重機で瓦礫をかき集め全部処分してしまう方が効率的である。その場合、ボランティアが貢献する余地はあまり無い。しかし後者は既存の建物をなるべく生かして復興ということになるだろうから、人手がかかる。しかも個人所有が多いから費用も苦しい。そこでボランティアはまだまだ必要ということになる。しかし一方で、震災直後よりボランティアは減りつつあるという話を聞いた。復興のペースが遅れないか心配である。
また壊滅状態にある地区では、どのような復興が有効なのか、わからなくなってきた。多くの住民はやむを得ず生まれ育った場所を離れてしまっているというのも、あの状況ではしょうがないと思う。また再び津波がやってくかもしれないことを考えると、少なくとも同じような町を復興することはかなり現実的でない。
最後に、多くの方々のお蔭で今回のボランティア行を完遂できた。
まずは勤務先の職場の方々である。休暇中はなるべく影響が及ばないように調整したつもりだったが、やっぱり直前になって顧客対応の要請があちこち発生した。しかし職場の方々が、自身が多忙であるにもかかわらず代りに対応して頂き、ピンチを回避することができた。
またてらこやの湯澤さん、市川さん、北上JCの菊池さん、和田さん、瓦礫撤去週間プロジェクトに応じてくれた方々のお蔭で自分の突拍子もない勝手な話が現実のものとなった。
さらに自分は町内会の仕事をやっているが、期間中に会員のご不幸があり、この時ばかりは途中で帰るしかないと動揺したことがあった。しかし前会長よりご理解とご協力を賜り、またTさんも相談に乗って頂き、気を持ち直すことができた。
皆さんには心よりお礼を言いたい。どうもありがとうございました。
神奈川県葉山町在住 疋田浩一