第31便 大船to大船渡(物産展)
復興概要
実施日 :7月16日(土)10:00 ~ 16:00
場 所 :神奈川県鎌倉市大船芸術館通り
内 容 :岩手復興支援イベント「大船to大船渡」への協力
協力者 :岩手県観光協会
大船渡市
大船渡観光物産協会
北上市役所
北上市観光協会
花巻市観光協会
北上青年会議所
花巻青年会議所
参加者 :湯澤大地 伊藤隆一(北上)赤沼範典(花巻)
「大船と大船渡って似ているね」
この一言から、岩手県復興支援イベント「大船to大船渡」は始まった。
5月13日、私は、てらネット第13便で松尾崇 鎌倉市長と共に岩手県釜石市・大船渡市を視察した。当時、大船渡市は地理的な条件等から釜石市より瓦礫撤去等の復興が遅れ気味で、私も何度か瓦礫撤去支援で釜石入りし現地スタッフと話をして大船渡の状況は把握していた。大船渡市は釜石市に隣接しており、私たちは釜石支援の延長線上に大船渡市と大槌町の支援を想定していた。
そして、鎌倉に戻り鎌倉市発の被災地へのボランティアバスの運行について、松尾市長と打ち合わせをしているときに大船渡支援の話題が上がった。
「大船と大船渡は語呂がいいね」と、その時はアイデアベースの話で終わったのだが数日後、松尾市長から連絡が来た。それは、大船渡を支援出来ないかという話が鎌倉市大船の方から出ているとのことだった。
偶然、同時期に大船渡支援が出来ないかと松尾市長に相談していたのが、大船で仕事をしておられる鈴木氏という方だった。鈴木氏は鎌倉市大船の「大船祭」という大船地域のイベントに携わっていて、震災の影響で中止になった大船祭の代わりに何か被災地復興支援イベントが出来ないかと模索していた。当然、イベント開催のノウハウはお持ちで、あとは岩手県大船渡側と繋がるにはどうしたら良いか迷っている状況だった。その様な経緯から松尾市長のお引き合わせで、鈴木氏とお会いする事になった。私は地域のイベントの開催ノウハウはなく、ただ被災地に何度か入り現地に何人かの友人が居るだけだったが、今回のお話を受け協力をさせていただくことになり、それに伴いNPO法人 てらこやネットワークが「大船to大船渡」に後援をすることになった。このイベントは松尾市長のお人柄の良さで始まったと言えるのかも知れない。
全て未定、準備期間は3週間
諸条件から開催日を7月16日土曜日と決定したのが、開催日の3週間前だった。鈴木氏が地元商店街との連絡調整、松尾市長は行政関係の調整、そして私は岩手県側との連絡窓口という役割分担(だけ)を決め動き始めた。
時間の限られた準備は覚悟していたが、難航する場面もあった。さすがに代表者未定、主催名称未定、開催場所仮定、活動実績無し、予算未定、動員人数不明、連作先は携帯とメールのみ・・・。普通は相手にもされないであろう私たちの申し出に対し、岩手県側が話を聞いてくれたのは現地の友人たちのお陰だった。実際に被災地には全国から多くの申し出が殺到しており、大船渡にも各地からイベントの依頼が来ていた。
岩手の友人は、まず岩手県観光協会に話を通しその後、大船渡市、花巻市、北上市に連絡が行く手はずを整えてくれた。この事により大きな課題だった当方の信頼性が担保され、交渉はスムーズに動き始めた。
この短期間での準備には、地元の調整を担当した鈴木氏も、行政関係を担当した松尾市長もご苦労されたことと推察する。しかし、全ての方々が「復興支援」ということで温かい目で見て下さり、様々な手順を省略して頂いたり、こちら側の非礼もお許し頂いたりした。
余談だが、私が大船渡観光物産協会の方に初めて電話した時に、担当者の方から、「何で大船渡市を支援して下さるのですか?」と訊かれた。私は正直に「大船と名前が似ているからです」と答え、暫しの沈黙の後、先方が大笑いして下さったのが印象に残っている。
実行委員会も立ち上がり始め、多くの協力者が打ち合わせに参加してくれるようになった。この場で全員のお名前を列記したいが、この報告書ではお名前を出すことは控えることをお許し頂きたい。
そして皆さまが積極的に役割を分担して下さり、イベントは進捗し始めた。
開催主旨は当然、大船渡市の支援だったが、大船渡周辺地域の経済的支援も重要視した。何度か被災地入りする中で感じたことは沢山あるが、そのひとつに直接被害を受けた被災地を支援するのは、まず隣接した市区町村だという事がある。被災地はインフラも破壊され、就労機会も激減し経済活動も停滞している。そのような状況で、被災された方々は近隣の市区町村に仕事を求め、生活をしている。この近隣地域の経済を活性化することは、復興支援に実効的かつ有効だと判断している。よって今回、大船渡の周辺の都市である北上市と花巻市の物産・観光PRも重要な要件とした。
私の担当である岩手物産と大船渡物産、岩手県観光PRも7月に入り進捗し始めた。大船渡から観光物産協会事務局長とミス椿むすめさんが来て下さることになった。北上市からは「北上コロッケ」がブース出展し4名の方々が来場してくれた。北上コロッケはテーマソングがあり、弾き語りをしながらの販売方法は新鮮だった。花巻市からは物産販売で3名の方が来場してくれ、花巻市の ゆるキャラ「フラワーロールちゃん」も参加してくれた。そして、大船渡出身の歌手「大船わたる」さんも、チャリティ出演して下さった。フラワーロールちゃんは花巻の友人からの提案で、大船わたるさんは北上の友人が探して提案してくれた。これら準備や会場を彩った復興支援や物産展、観光PRグッズも全て、東北の友人たちが手配してくれた。
7月16日 快晴
当日は予想以上の盛況だった。5,000人から8,000人の動員予想に対し、20,000人以上(主催者推計)の動員があった。人気商品は午前中に品切れとなり、お客様にご迷惑をお掛けした。大船渡の物産は全て完売、北上コロッケは1400個完売、岩手物産品も予想を大きく超える売れ行きだった。岩手県物産品は会場を彩る為に大量に仕入れたので、返品分を考慮し納品した大型トラックを待機させていた。しかし殆ど返品が発生せず、空のトラックを岩手県に帰すことになったのは嬉しい誤算だった。そして、炎天下での開催となったが大きな事故もなく、無事にイベントを終えることが出来た。
多くの協力者
今回のイベントには、どこにも名前の出ない多くの協力者の存在があり、その方々のお陰でイベントを成功させることが出来た。ここで御礼を申し上げたい。
大船の商店街の皆様には、様々な形でご協力いただいた。商店街の協力無しにこのイベントは成立し得なかった。そして、イベントのロゴマークを無償で作ってくれた方、素敵なチラシを3日間で無償で作成してくれた方、岩手県人会の方々、一般ボランティアの方々、学生の皆さま、ご出演頂いた方々、その他にも私の把握していないところでも多くの方々の善意があった事と予想する。また、鎌倉市役所の方々も、打ち合わせ段階からボランティアとして参加してくれた。裏方として汗をかいて協力してくれたことを御報告しておきたい。
終わりに
このように、ダジャレのような理由から「大船to大船渡」は始まり、皆さまのご理解と御協力のお陰で成功裏にイベントを終えることが出来た。この場をお借りして、関係者の皆さまに御礼を申し上げたい。
このことからも、被災地を支援するのに「理由」は重要でないという事が良く分かった。言うまでもなく「支援する気持ち」が重要であり、支援するのに歴史的な繋がりや、行政上の関係は必要条件ではない。その他の支援にも言えることだが、今回も岩手県の友人たちの献身的な協力があり、イベントを盛り上げることが出来た。支援しているのか、されているのか反省をしている。
また、御来場者からの寄付金、出店したブースの方々からの収益金は全て、8月12日に鎌倉市長が大船渡へ行き、大船渡市長へ直接お渡しする事になっている。私も、その前日8月11日に「夢のつばさプロジェクト(第25便参照)」で、震災遺児・孤児の子供たちを宮城県名取市まで送りに行く(第35便参照)ので、そのまま岩手県に移動し大船渡入りする予定だ。
そして、当イベントの中心メンバーであり、実質的な責任者である鈴木氏は少なくとも数年は、このイベントを続けていくとのことだった。私も微力ながら協力して行こうと考えている。
関係者の皆さまには筆に尽くせない御協力を頂いた。そしてご来場頂いた皆さま、全ての方々に心より感謝を申し上げ、第31便報告書とさせて頂く。
本当にありがとうございました。
2011年 7月30日
湯澤 大地