第22便 岩手県釜石市でのお寺の修復作業/瓦礫撤去
復興<概要>
日時:平成23年6月11日(土)
行き先:岩手県釜石市
受入れ:北上JC・釜石ボランティアセンター
参加者:豊田雅宏・戸部賢治・大山隆久・岩田英雄・福村修作・川端力
作業内容:お寺の修復作業。及び瓦礫撤去
<はじめに>
今回参加させていただいた6名は、経営者の集まりである盛和塾東京の仲間です。川端さんは、地元釜石で株式会社川喜という製麺会社を経営しており、自身の会社も操業ができない間、避難場所で自らの麺で毎日炊き出しをしていたそうです。今回は、私たちが「元気なニッポン」をどのように再生していくのか。そのためには、なにができるのか?そんな思いを少しでも実践するためボランティアに参加させていただきました。
<活動報告>
【6月11日(土)】
<6:00>
北上駅をレンタカーで出発。かなり激しい雨の中、釜石に向かう。
<7:50>
渋滞もなく到着。ここで釜石の友人と合流しボランティアセンターで受付を待つ。
<8:30>
ボランティアセンターの方の説明を聞いた後受付をする。我々以外、北上信用金庫の方20名位、海老名社会福祉協議会ボランティア号第1号隊30名、北上JC含め総勢約60名でお寺さんの修復作業並びに瓦礫撤去との事。一輪車やらスコップ、バール、発電機、高圧洗浄機などトラック1台、ワゴン車1台に積み、バス2台乗用車3台で現地に向かう。
<9:30>
鵜住居町のお寺さんに到着。海老名の方は外回りのごみ・土の撤去、我々は建物内の泥、物の撤去・解体作業。この建物は築4年と新しく、まだ土台・柱・屋根もしっかりしており中をきれいにして再生するとの事。解体作業のため危険を伴い、かなりしんどそう。
<11:00>
10分間休憩。雨が降ったりやんだりで気温25度、湿度もかなり高く、たった1時間でかっぱの中のTシャツはびっしょり、着替えして水分を補給する。
<11:10>
作業再開
<12:10>
昼食。床を撤去した床に板を引きおにぎりを食べる。床の桟を這って移動のためかなり危険。とにかく水分と糖分を補給し再度着替え。
<13:00>
作業再開。午前中は絶対1日持たないと思っていたが、昼食休憩で復活。午後雨はやみ太陽が照りつける。かなり気温が上がっているため無理せず水分補給を心がける。作業はそれぞれの役割分担ができスムーズに進む。また、目に見えて建物内が片付いていくため、俄然元気がでて一掃作業が進む。
リーダーから指示があり午後の休憩かと思っていたが、菅総理がなぜか釜石にいるそうで、帰りの渋滞を考慮して14:30に作業終了。
<14:46>
防災無線から慰霊のサイレンが鳴り、その場で黙祷。そうか今日は震災から3カ月。3か月たつのに目の前に広がる光景は何なんだろう?
最後に息を切らせてお寺の奥様が、我々に飲物をたくさん買ってきてくれ、心からの感謝の言葉を頂きました。オロナミンCを一気に飲んで現場をあとにしました。時間があったので、釜石の友人の案内で鵜住居町から、大槌町に向かい震災の姿を目に焼きつけておきました。
いたるところに赤い旗が。赤い旗の印はその土地の所有者が、ここにある瓦礫は全て撤去してください、という印だそうです。
途中、営業中ののぼりを立て、建物がなくなったガソリンスタンドで、たった一人で椅子に座って商売している姿に、同じ経営者として感動を覚え、復興に向け一歩一歩進んでいるような気もしました。
<16:30>
釜石のボランティアセンターに戻り、ここで友人と別れ、東京での再会を願い釜石を出発。
<おわりに>
はじめは体力的にも自身がなく、ボランティア参加に躊躇していましたが、今は参加させていただいたことに感謝しています。同じ日本人として、私たちはこの光景をそして体験を、後世に残すためにももっと早く来るべきだったと後悔しています。今後釜石が復興するまで、幾度となく参加をさせていただきたいと思っています。
最後に感動した光景を書きます。釜石から花巻まで帰る道中、ずっと千葉県警の支援車輛の最後尾を走ることになってしまいました。ずっと制限速度でゆっくりと走るわけですから、少しイライラしていたところ、花巻市内のある町に通った時に、町中の人が道に出て、子供は手に看板を持って大きな声で、今日1日ご苦労様でした・・、お年寄りは地面に頭がつく位お辞儀をしていました。その姿を見て不覚にも泣いてしまいました。あとで県警の方に直接聞いたら、朝も毎日毎日町中の方がお見送りしてくれ、どれ程励まされ癒されているか、本当に感謝しているとの事でした。(県警の皆さんごめんなさい)
多分、この町のリーダーの方が自主的に始めたことだと思います。中央で意味のない議論ばかりしている政治家たちより、日本中いろいろな町で、献身的に何も見返りを求めず、自分たちの仲間のために率先して活動されている方がいて、そしてなによりも、一人ひとりが心から感謝の気持ちを持ってこの難局に向かっていけば、必ず日本は復興していくと確信いたしました。
てらこやの皆さん、JCの皆さん、ボランティアセンターの皆さんありがとうございました。
文責 豊田 雅宏